今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」では、吉原が舞台ですが、ここの女の子たちは売られてきた子どもたち。昔の子どもたちは、朝から晩まで働かされたり、口減らしとして売られたり、捨てられたり、厳しい環境で育っていました。多くの子どもたちは、大人よりもずっと過酷な生活をしていたのです。そして誰も助けてはくれませんでした。「虐待」されている状態が当たり前だった子どもたちがたくさんいました。
そんな子どもたちを守るために、私たちは一歩ずつ歩んできたのです。その歩みの、大きなステップになったことなどをお話していこうと思います。
1.メリー・エレン事件(アメリカ)とその後
2.昭和8年の児童虐待防止法(日本)とその後
3.40年以上前に、体罰廃止(スウェーデン)
4.これからの子どもたち
1.メリー・エレン事件(アメリカ)とその後
メリーは1874 年(明治7年)に里親の虐待から救出された女の子です。生後間もなく父親が死んで、2歳のときには母親も行方不明になり、捨てられたメリーは里子に出されたのですが、その里親から 6 年の間、虐待とネグレクトを受けていました。
1873 年にメリーの噂を聞きつけたケースワーカーがやっとメリーに会えたとき(メリーは家の外へ出ることが許されていなかったので)、当時 8 歳のメリーの身長は 5 歳くらい、衣類は汚れていて、腕と足にあざと傷跡があったそうです。メリーを救うために、警察や裁判に訴えましたが、当時は子どもを守る法律がないため門前払いの状態。そこで、1874 年になんと、動物虐待防止の法律を使って、人間のメリーを保護したのです。これが初めて、子どもが裁判によって救われた例になりました。
当時は、家の「財産」だった家畜を保護する法律はあっても、人間の子どもを保護する法律がなかったのです。子どもは家畜よりも価値の低い存在だったのかもしれません。
今につながる児童虐待を防ごうとする動きは、1960年代のアメリカから始まります。貧困とか病気など、特別な問題を抱えている家庭でなくても、子どもに暴力をふるう親がいて、それは問題だと気づいたのです。
このころから研究も進んで、虐待されている子どもたちを救おうとする動きも強まりました。そして、この動きは世界中に広まっていき、さまざまな対策が考えられるようになりました。
2.1933年 (昭和8年) の児童虐待防止法(日本)とその後
日本には、戦前にすでに児童虐待防止法がありました。ただ内容は現在とは違います。その法律では、14歳未満の子どもが、親から刑法に触れるようなことをされた場合に保護される、というもので、特に工場での過酷な労働、危険な大道芸(獅子舞、軽業、曲馬など)をしている子どもが問題になっていました。さらに、お金で買われた子が殺される事件が続いたことから、貰い子も保護の対象でした。
1990年代になって、やっと虐待は特別な家庭問題ではなくて、普通の家庭でも起きることだという、今につながる動きが始まります。虐待防止センターなどで、ホットラインも始まるのもこの頃です。
ただ、この前後の日本で「家庭内暴力」と言えば、児童虐待ではなく、むしろ子どもが親を殺すことでした(金属バット事件など)。1989年にアメリカの子ども問題に関する会議に参加して、家庭内暴力というワークショップで、子どもが親を殺す事件が日本で問題になっていると発言したところ、参加者から拍手されてひどく驚いた経験があります。それは、毎日のように子どもが親に殺されているアメリカでは、きっと「よくやった」という気持ちだったのでしょう。
児童虐待に対する日本とアメリカの大きな違いは、日本が家族を中心に対策を考えるのに対し、アメリカは、虐待する親から子どもを引き離す方法が中心ということです。子どもには自分の安定した居場所が必要なので、家族全体を良い関係に変えていければそれが一番です。ですが、家庭内暴力ワークショップの反応を見れば、家族中心には考えられないアメリカのようすも分る気がします。が、その結果、里親をたらい回しにされる子どもが多く、大きな問題となっています。一方、日本では、子どもを家族から離すのが遅れて手遅れになるケースがあるのも事実です。
3.40年以上前に、体罰廃止へ(スウェーデン)
子どもの虐待でいつも本当に判断が難しいのが、虐待としつけの問題です。体罰も学校では完全に否定されていますが、家庭では法律上は完全否定ではありますが、現実にはグレーな場面も多いように感じます。ですが、先進的な国は早くからこの問題に取り組んでいました。
1958年に、スウェーデンでは学校で生徒を叩くことが全面的に禁止されています。当時の学校は、「教育的な」理由から、実際に暴力を振るったり、脅したりというのが普通でした。ただし、学校では体罰禁止になりましたが、親による体罰は認められていて、親がわが子を「折檻する権利」が法律によって全面的に認められていました。
その後、親からの体罰を防ぐため、1949年には「折檻する権利」が適切な「しつけの手段の使用」に変更されました。でも、まだ親は子どもを叩いてはいけないと明確に禁止する状態にはなっていませんでした。1979年3月、粘り強い運動の結果、ようやく国会は親子法の改正案をほぼ満場一致で決めました。これによって、子どもへのあらゆる体罰や心理的虐待に当たる扱いが明確に禁止されました。今から半世紀近く前に、親の体罰が完全に禁止されていたのです。
4.これからの子どもたち
家畜以下の存在だった子どもたちは、だんだん人間として扱われるようになり、ひどい大人から守られるようになります。最初は人買いのようなひどい他人から、次に貧しくて無教養なひどい親から、そして今では、どんな人からも守られる存在になりました。子どもが持っている権利が認められたのです。子どもが、あらゆる形態の身体的もしくは精神的な暴力などの不当な取り扱いから保護されるように、国が取り組まなくてはならないとされているのです。
ところが、現実はなかなか思うように進んでいません。虐待の通報は増え続けています。先進的なスウェーデンでも、子どもへの暴行に関する警察への通報は増え続け、体罰禁止がかえって子どもの虐待件数を増やしているという批判さえあるほどです。
もっと広く見渡すと、世界の各地で起こっている紛争や戦争で傷ついている子どもたちがいます。この子どもたちを虐待しているのは、子どもたちを保護するべき国ではないでしょうか。さらに、さまざまな災害や貧困で苦しんでいる子どもたちがいます。環境破壊や社会の不平等の結果で苦しんでいるとしたら、それは世界の大人全員のせいかもしれません。子ども一人一人が健康で安全な生活を送るためには、まだまだすることがたくさんあります。子どもは自分の権利を持っていますが、それは、大人が守る必要があるのです。
5回にわたって、子どもの虐待についてお伝えしようと思います。第1回は「オレンジリボン・キャンペーン」(11月)、第2回「虐待ってなに?」(1月)、 第3回「昔の子どもたちは・・」(この回です)、第4回「児童虐待の現状」、そして最後の第5回「体罰のない子育て」と続く予定です。